講演者インタビュー



「根拠に基づく意思決定を」
豊富なデータを活用して医学へ貢献する井上さん

2020/11/04


人命を預かる医療の現場では、患者の状態を理解し、的確な判断を下していく必要がある。以前の臨床の現場は、主に座学の知識と経験によって支えられてきた。しかしながら近年は、膨大なデータから得られる統計に裏付けられた結果をもとにして、医療の質を向上させるアプローチが主流となりつつある。因果推論という統計的なアプローチで、臨床現場における医療の質を向上させる研究をされている井上先生に、前半では、この分野が何故重要で、臨床の現場にどのように適用されていくのかについて、後半では、井上先生ご自身がなぜこの分野に興味を持つに至ったかについてお話を伺った。



井上 浩輔 (Kosuke Inoue)

Department of Epidemiology, UCLA

略歴:2013年東京大学医学部医学科卒業。国立国際医療研究センター、横浜労災病院を経て、2017年よりUCLA公衆衛生大学院(疫学)博士課程に留学中。因果推論、生活習慣病を専門とし、医学研究における疫学手法の発展・応用に取り組んでいる。伊藤病院疫学顧問。ホームページ(http://labusers.net/~kinoue/)



——まずは、井上先生がどのような研究テーマを扱っておられるか教えて下さい。

井上 (敬称略) : メインで行っている研究は、因果推論という疫学方法論の発展と応用です。内分泌代謝科医としてのバックグランドからテーマとしては生活習慣病を主に扱っています。具体的には手元にあるデータからどのように原因と結果の関係を見つけるかということになります。これが何故学問として重要かと申しますと、元々患者に対して自由に薬の処方や手術などで介入ができれば、そこまで重要視はされないはずです。しかし、多くの事象は介入ができません。タバコなどはいい例で、倫理的にも実践的にも介入できないので、手元のデータからある条件に曝露されている人とされていない人にどういった違いが生じるかというのを解析検討することが必要になります。因果推論はその問いに答えるために必要な学問だと言えると思います。因果の関係があるかを数値的に確かめることで、正しい介入の方法を臨床医が設定するうえでの手助けとなります。


——研究として因果推論の重要性に気づいたのはいつですか?医学部でそういったことを教えてくれるのでしょうか?

井上 : 私が通っていた医学部では、現在研究で扱っているような因果推論の授業はありませんでした。医学部で学んだのは公衆衛生学というもっと大きな話です。ここでは、医学を扱う上でどういったことが問題になっていて、どういう統計手法を使って解析されているのか、そしてそれがどんな形で発信されているのかということを非常に浅く学ぶことしかしませんでした。実際に臨床に入ると個々人で論文を読んで臨床の知識をアップデートしていく必要がありますが、その方法を体系的に学ぶ機会は少ないのが現状です。さらには自ら論文を書くことで世界に発信していく力も求められます。その際に解析手法がわからず何を言っているのかわからない、そもそも論文の読み方・書き方もわからない、となると困ってしまいます。自分もその流れで、学生時代は興味を持っていませんでしたが、実際に自分が臨床する上で、論文を読む力や書く力がないと感じて、どこかで本格的にトレーニングする必要があると思ったのがきっかけです。


——トレーニング先として、なぜ留学先をUCLAにしましたか?

井上 : 始める前は因果推論という言葉は一切知らなくて、公衆衛生学を学ぼうということを考えた時に、分野の歴史があり、教育環境の土台もしっかりしているアメリカへ渡ることにしました。

進路を調べていく時に、僕が重視したのは人・場所・内容です。人という点では自分の尊敬するメンターが UCLA 出身で、彼が勧めてくれたというのがすごく大きいです。場所はビーチが好きなので、LAに行くことは大歓迎でした。最後に何が学べるかと言うことを掘り下げていったところ、自分がやりたかった研究デザインや統計手法、論文を書く方を学べるのは疫学という分野であることがわかりました。さらにその分野の土台を作った人達がいる大学の一つがUCLAでした。実際にUCLAに入ってから疫学を学ぶと、疫学の中でも因果推論という分野があることを知り、それは実はデータを扱う上ですごく重要な概念で、かつ数学的なところがすごく好きだったので、結果的に因果推論について深く学ぶことにしました。


——数学的な部分が好きだったということですが、自信があったのでしょうか?

井上 : 高校時代から数学は好きだと言う気持ちはあって、この分野に進む抵抗はなかったです。昔は経験に基づく医療が行われていましたが、現在は経験の大切さは保持したうえで、根拠に基づく医療 (Evidence-based medicine)を行い、客観的かつ効率的な医療を提供するアプローチが標準となっています。その科学的根拠として重要になるのは、いわゆる感覚的なことではなくて、その裏にある理論的なバックグラウンドであり、モデル化するのであれば数式で表せる理屈が重要です。やはり数式による表記というのは、客観的に伝えたいことを伝えるツールとしてとても役に立つと思っています。


——今行っている解析は、やはり医学のバックグラウンドがあるからこそ効率的にアプローチできるのでしょうか?

井上 : 色んな意見はあると思いますが、医学の知識と統計の知識が両方あったほうがよいアプローチができると思います。研究テーマの多くは臨床から生まれてくるので、患者さんを見る過程でこれおかしいよね、とか、これはどうして起こるんだろう、と言ったところから研究が始まります。すなわち、データ依存ではなく、実際の臨床で直面した問題について扱っているのが基本です。よく医学生に相談されるのですが、もし臨床に興味があるのであれば、4−5年はやってからこちらの世界に入ったほうが研究面でも視野が広がるとアドバイスしています。


——因果推論の結果から、ある提案が実際の臨床で役立つことが分かれば、これはどのくらいの期間を経て反映されますか?

井上 : すごく重要な点で、結論から言うとかなりの時間がかかります。医学に反映されるという形でもいくつか種類があります。メインとなる二つのうち一つは、診療・臨床そのものに反映するクリニカルガイドラインで、もう一つは、ワクチンの摂取要綱などを定める医療政策です。政策側は、今回のコロナのような緊急時は別として、根拠となるデータが一つでは動くことは少なく、それが蓄積されて、いよいよこれは確からしいぞというところで動き出すことが多いです。なので、一つエビデンスが生まれたところで政策に直結するということは稀だと思います。

診療の場合もガイドラインのレベルでは同じようなことが言えるのですが、個人の臨床レベルだと少々変わってきます。例えば医師が新しい論文を読んだ時に、次の外来で実践しようといったことは日常で起きています。わかり易い例でいうと、ガイドライン上二つの薬が治療薬として推奨されている病気に対して、片方の薬で効果が高かったという研究結果が出た場合、ガイドラインの推奨が変わる前に、より高い効果効果が認められた薬剤を好んで処方するといった個人レベルでの対応はあると思います。ただし、ガイドラインとして一般化するにはやはり時間がかかりますし、十分なエビデンスが整い一般臨床にしっかり浸透するには複数年かかるとも言われています。


——そうですか。時間がかかるということですが、自分の研究が実際の医療の現場に反映される実感があるとやりがいがありますよね。

——今度は井上先生ご自身のことについて伺わせて下さい。まず、もともと医学部を目指したきっかけは何でしょうか?

井上 : ミーハーすぎるかも知れないのだけど、もともとのきっかけは山崎豊子の白い巨塔です。あの財前教授と里見教授っていう二人の対立した医師を見た時に、中3くらいのときにこの人かっこいいじゃん、なりたいなと思ったのがきっかけかなと思っています。


——山崎豊子さん、僕も気に入って読んでいました!組織の正義と個人の正義との対比が描かれますよね。

井上 : そうですね。まず中学生の時はじめて観たドラマ版の白い巨塔がすごく面白くて、最初は里見教授に憧れました。組織の一員としての正義感には若干欠けるが、それを差し置いてでも患者さん第一に考えるというところに憧れていました。でも、面白かったのでもう一回鑑賞した時に、今度は全く真逆の財前教授に憧れたんです。財前教授というのはちょっと貪欲で、組織の一員としてキャリアを積むこと、また患者には質の高いサービスを提供するプロフェッショナルな意識が非常に高い人で、葛藤しながら上を目指していく。この全く対立した二人に憧れた時に、このドラマは何が言いたいのかなと思って原作を読んでみました。すると、日本にはこの二人のいいところを併せた医者というのが求められているのだなと思いました。患者のことを第一に考えつつ、組織の一員としてプロフェッショナルな意識を保つことで、必要な医療、室の高い医療を提供し続けるような人材です。


——白い巨塔はドラマチックな展開が多いですよね。実際の臨床の現場とのギャップはいかがでしたか?

井上 : 現実は自分が想像していたよりも難しい世界でした。患者さんが第一で、責任感を持って…、という点と、科学的な知識・裏付けられた行動のバランスをとることがすごく重要で、その対応は患者ごとに違うので、実際の医療現場では柔軟かつ合理的、そして時には迅速な判断が必要となります。

元々持っていた医師像と今の自分のキャリアが違う理由として大きかったのは、今までの恵まれた教育・職場環境で、自分よりもよっぽど医学に長けている人たちをたくさん見てきたことです。大学のときは財前教授のような道で大成するような方がすごくたくさんいて、あ、これでは無いと。一方で臨床に入ったら今度は里見教授のような道で大成するような人がたくさん出会えて、彼らにはどんなに努力してもかなわないなというように感じました。おそらく自分はこの一本で活きる人間ではないというのを考え始めました。

勝ち負けではなく、価値ある医療者として生きていくにはどういう道を選んだらいいだろうかと考えた時に、公衆衛生学・疫学という学問を究めて臨床に応用する道が自分にすごくフィットしました。得られた結果は最終的に患者・国民の健康に貢献することができて、やること自体は学術的・科学的な議論ということで、この道であれば両方のメリットを活かせるかなと考えました。根本的な発想は白い巨塔のときと変わっていないけど、進む進路はその時とは違ってきています。


——どういう人が臨床に向いているという像がご自身の中であるのでしょうか?

井上 : 本人が好きかどうかということであって、他者が決めることではないと思います。臨床に関わりたいという方は、どんな形であれまずは現場を経験し、そのうえで本格的な携わり方を各人が判断されるのがベストだと思います。間違いないのは、医学部生や医師の中には臨床以外の道に進んだほうが威力を発揮し、結果として社会や医療の質に貢献できるのでは、という人がたくさんいるということです。臨床医としての道しか知らないが故にその道だけを目指してしまうのは、人によっては能力を最大限に活かせずもったいないことだと思うので、是非なるべく選択肢・視野を広げてキャリアプランを立てられることをお勧めします。


——自分の分野だけを見ていると視野が狭くなりがちですね。どのようにチャンスを広げていけばよいか、アイデアはありますか?

井上 : 根本的には教育を変える必要があると思いますが、これは非常に難しい問題なので、今ならば例えばリモートの勉強会、ゼミのような形で外部から刺激を与えてあげるのが大切だと思います。自分の場合は前に述べたUCLA出身のメンターとの出会いが大きいです。彼と出会ってこんな学問があるよと教えてもらったのがきっかけだったので。しかし、皆が皆そういう人に出会えるわけではないではないですよね。そういう意味で受け身ではなく、興味ある分野のゼミや勉強会に積極的に顔を出してみることは大切だと思います。


——他に教育の面で積極的にやっていきたいことはありますか?

井上 : 極論かもしれないですけど、学問って興味ないとうまくできないですよね。やらされてできることってクオリティには上限があって、やはり自分の内なるものからこれやりたいって人がやれるからそこに持続性が生まれてよいクオリティのものができる。そういうことを考えると、特定の道に興味を持ってもらうようにするってこと以上に、はじめのステップとしてはこういうものがあるよ、こういう学問があるよと知る機会を提供するということが簡単かつ重要なステップかなと思っています。これから僕が日本に帰ってから考えていきたいことであるのでまだ実装はできていないですが、大学の授業もしくはゼミでそこを紹介することや、本やSNS などの目につきやすい媒体で提供していくというのはいいのかなと思います。


——その観点からいくと、白い巨塔に関しては、たまたま目に入ってきたものですか?あるいは誰かに勧められたのでしょうか?

井上 : エンタメとして自然と目に入ってきました。中高校生ってエンターテインメントに影響を受けやすいし、曝露の機会は多いと思います。そう考えるとエンタメってやっぱりすごいですよね。違うドラマを見ていたら、パイロットを目指していたかも知れないし。


——沈まぬ太陽だったらパイロットになっていたかもしれない?

井上 : あれ見てなろうとは思うかわからないですが…笑。とても好きな小説です。


——そうですよね…笑。自分も曝露の機会を増やすべきというのには賛成で、小さい頃には遊ぶことが大事だなと思います。遊んでなにかいろんなものに触れて、結局自分の興味があるものが残ってそこから進路を選択していくことになりますよね。

井上 : その流れでいうと、学生時代に意識していたことは視野を広げることです。医学部というのは普通に過ごしていると、どんどん視野が狭くなるので、医学以外の領域がどういう教育を受けているのかを知るのかというのは、今後の教育にとって必要かなと思います。興味があることを見つけるために奔走しないとそういった機会を持てないので、いろんな挑戦をして、多様な世界・領域に曝露されるというのが大事かと思います。


——全く同感です。貴重なお話ありがとうございました!




<あとがき> 親しみやすく、非常に経験豊富で優秀な井上先生にご協力いただきました。医師の方が下す意思決定が、これまで蓄積された臨床データからベストなものとして提案されたものもあるというお話を伺うと、より安心して医療をうけられるのではないでしょうか人生のキャリアを考える上でも、データの蓄積のために様々な機会に暴露されることが重要であると、井上先生のお話から感じました。ご協力ありがとうございました。
(文責:藤井洋樹)
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