講演者インタビュー



「無調の響きに魅せられて」
不思議な音楽から秩序を見出す日比さん

2020/1/8


人間が音楽から様々な情感を受け取ることは神秘的であるが、多くの音楽に用いられる和声理論は音程の周波数比や自然倍音などと密接に関わっている。そのような理論の枠組みは、これからどのように拡張していくのか。また、音楽を理論立てて説明する意義とは何であろう。無調の音楽*1の構造を数の観点から研究されている日比美和子さんに、研究を始めたきっかけやその面白さについてお話を伺った。
(*1 無調の音楽 : 和音の構成が主音との関係に従わない音楽、調性のない音楽)



日比 美和子 (Miwako Hibi)

フリーランスライター

略歴:東京藝術大学大学院在学中に、日本学術振興会の支援を得てニューヨークのコロンビア大学大学院にて音楽理論を学ぶ。2013年、東京藝術大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。博士(音楽学)。2015 年渡米。NY、LA、SFを経て現在アーバイン在住。私立学校で講師を務める傍ら、曲目解説や CDライナーノーツの執筆、米国の主要都市でクラシック音楽のレクチャーを行う。共著『ハーモニー探究の歴史―思想としての和声理論』音楽之友社より出版(2019年)。



——日本では東京藝大を卒業されていますが、芸術分野に興味を持ったきっかけは何でしょうか?

日比(以下敬称略):まず、母親が音楽教師でした。父親はエンジニアだったんですが、彼の趣味が日本の童謡を英訳することでした。一見簡単そうですが実は難しくて、音節を考えないといけないんです。つまり、英語の音節と日本語の音節が一致しないといけなくて、単に日本語を英語に訳すだけではなく、歌った際にきちんと歌えるような形でするのが難しいんです。そういう訳で、父は音楽家ではないけど音楽が大好きでした。同時に両親とも美術が大好きで、子供の頃から毎週のように美術館に行っていました。コンサートも美術館も定期的によく行く環境にあって、アートと音楽にはとても関わりが深い家庭環境でした。 ただし、大学に入る前までは西洋の音楽とか美術ばかり見てきて日本の文化に触れることはなかったんですね。東京芸大に入ってからは日本の文化を勉強する人がたくさんいて、そこで初めて興味を持って、浄瑠璃や茶道などいろんなことを勉強したんです。今考えると、のちにアメリカに来ることになり、日本の文化をアメリカで普及させる活動をしているので良かったなと思います。


——博士課程在学中にはコロンビア大学に進まれていますね。どういった経緯で行くことになりましたか?

日比:私は日本学術振興会のDC1のフェローだったんですけど、その資金を使って留学をしました。博士課程に入ってから論文を書くまでの間に、日本で研究をしていたり、毎年9月にニューヨークに研究に行ったりしていたんです。しかし、短い期間で研究するだけではわからないことがたくさんありました。そこで、思い切って留学し、アメリカの大学院生が無調音楽をどうやって分析したり研究したりしているのを知ったほうが自分の論文を書くのに役に立つだろうと思い、日本の大学院に在籍したままコロンビア大学に留学しました。


——留学はどのような点でご自身の研究に役立ちましたか?

日比:留学してよかったことは、コロンビア大学とニューヨーク市立大学のどちらでもいくつかのゼミを聴講することができて、そこで知り合った学生やアドバイザーからアメリカの音楽理論について詳しく聞くことができたことです。その人脈を通して無調音楽の理論の専門家の先生に自分の博士論文のアドバイザーにもなっていただけました。私の分野では、もちろん日本にも素晴らしい研究者がいらっしゃいますが、多めにいっても指で数えられるくらいしかいませんので、アメリカ発祥の音楽理論を研究するならアメリカに実際に来たほうが多くの機会があると思います。


——もともと研究を始めた頃から海外に行くことは志向されていたんですか?

日比:留学しなくても素晴らしい論文を書く人はたくさんはいますが、東京芸大で博士論文を書く方のほとんどは1〜2年留学してから書きます。音楽学だけではなく、演奏家の方は尚更です。殆どの方は海外に行って研鑽を積むのが当たり前という環境だったので、私も博士課程に入る前から、留学には一度は行くだろうと考えていました。


——演奏家ではなく研究者を目指したのはどうしてでしょうか?

日比:私の高校の時の担任の先生が楽理科という音楽学を勉強する学科の出身でした。ただし私が高校生の頃の楽理科のイメージは、すごく倍率が高くて試験も難しくて、自分が行けるようなところでは無いと思っていました。でも、演奏に行き詰まったり、演奏してるだけでいいのかなと思って先生に相談したら、楽理科のことを教えていただいて、私がやりたいのは音楽を研究することなんだと気づいて楽理科に行くことにしたんです。ただし、入ってから気づいたことですが、楽理科に入学する人はものすごく多様な方がいて、楽理科に行ったあとでプロフェッショナルな演奏家になった人もたくさんいます。例でいうと、現在の音楽と対比される古楽*2のショパンコンクールで入賞した川口成彦さんは演奏家としても研究者としても大成しています。それから舞台に携わる人もたくさんいて、文化事業を担当する人もたくさんいます。私自身、今日もコンサートでピアノを演奏してきましたし、研究も演奏も楽しんでいます。
(*2 古楽 : ピリオド楽器と呼ばれる当時の楽器を再現し、作曲家が作曲した頃に演奏されていたスタイルで音楽を演奏すること)


——無調音楽については大学学部の頃から継続して研究されていますね。特に無調音楽に興味を持ったのは何故でしょうか?

日比:子供の頃からずっとピアノを弾いてきて、高校も音楽高校に入りました。ただ、あるタイミングでピアノだけを弾いているのは面白くないと思う時期がありました。そんなときに中世の音楽やルネサンスの音楽を聴いて、これはどうやって作られているんだろうって興味を持ったんです。中世の音楽って私達が普段聴いているような音楽とは違うんです。18〜19世紀には和声というものが確立されたので、ベートーベン、モーツアルト、ショパンといった作曲家が綺麗な音楽をたくさん作っています。しかし、それより前の音楽には聴いて心地いいと思うような感覚が存在しない音楽が結構たくさんあって、不思議に思ったんです。特に、バロックよりも前の作曲家でジェズアルドという人がいるんですが、彼の音楽を聴いているとすごく気持ち悪かったんです。それで彼のことを調べると実は殺人者でした。というのも奥さんが不倫をしたことに憤慨して奥さんを殺害したんです。当時はそれがそこまでタブーではなかったようなんですが、、、その音楽を調べたときに、もしかしてこういうことをする人だったからそれが音楽にも現れているのかもしれないなと思いました。それがきっかけで、音楽を研究する分野に興味を持ちました。それから大学に行ってもっと色んな音楽を調べているうちに、20世紀の無調の音楽に出会いました。これも聴いているだけじゃ理解できないと思ったんですが、この音楽を分析することで聴いているだけは分からない構造が見えてきたりしたんです。それで構造がわかった上で聴くと、また違った見方ができることに気が付き、それが面白くなって分析をするようになりました。今も、何か分からないものを分析して分かるようにすることが私の研究のモチベーションになっていると思います。


——日比さんにとって音楽が分からないというのはどういった状態ですか?

日比:音楽を聴くときに、無意識にこれは何調のなんの和音だと分析しながら聴くトレーニングを受けてました。そういう分析の仕方が出来ない音楽に出会ったときに、一瞬立ち止まって、なんだろうと考えてしまいます。わかり易い例で言うと、ベートーベン、ブラームス、バッハ、モーツアルト等が作曲した音楽は、ここは何調でこの曲の構造はソナタですとか分類できるんですが、この構造が聴いてわからない場合にもっと知りたいと思うモチベーションになります。


——無調音楽の作曲をするとどんないいことがありますか?また、聴き手にとってはどのように聴こえますか?

日比:聴いてその構造が理解できる音楽にはなりません。分析してみると、音の組み合わせが実は小さい単位では数の関係によって出来ていることがわかる音楽もありますが、聴き手にとって気持ちよく聴こえる音楽を目指して作られてはいないと思います。


——では、作曲者はなぜ無調音楽を作曲するんでしょうか?また、無調音楽の研究者の意義とはなんでしょうか?

日比:作曲家の観点からは、新規性があるものを作りたいから作っています。19世紀末くらいから、ワーグナーらの音楽などに無調の音楽が台頭してきました。作曲家は新しい音楽をつくりたいので、聴き慣れない和音を入れてみたり、何調か特定できないようにわざと調をどんどん変えていくようなことをしていたんです。単に聴いて気持ちのいい音楽を作るだけではなく、新規性のあるものをつくらないと音楽の発展が起こらないという意識がありました。

分析者の観点からは、2つ目的があります。1つは、作曲者の意図していない構造を分析者が見つけることがあります。これによって作曲の新しい理論をつくることができる。加えて、聴いてわからない音楽に構造を見つけることは、聴き手に対してその音楽を理解するための糸口を与える意味があると思います。


——音楽研究の経験は現在のキャリアとどのように関わっていますか?

日比:子供の頃は自分が音楽教師をすることになるとは思っていなかったんですけど、今は音楽教師をしています。アメリカに来てから日本と音楽の教師は結構違うことに気づきました。例えば日本ではただ単にピアノをどうやって弾くかを教えてるのがほとんどだと思うんですが、アメリカでは小さい頃からピアノを演奏する仕方を教えるだけじゃなくて、音楽理論や作曲・アンサンブルの指導が入っていたり、多様な形で音楽を教えることができる環境があるんです。日本でもこういう形の指導が行われているケースはあると思いますが、アメリカと比べると単に楽器の演奏の仕方を教える形態が多いと思います。一方で、アメリカでは音楽理論の勉強をしている生徒さんがたくさんいるので、ピアノの演奏指導だけでなく音楽理論の指導の機会もたくさんあって楽しんでやっています。また、今後も研究を続けていく予定で、音楽指導の傍らで論文を出すことも目指しています。


——日本とアメリカで音楽教育の差異を感じるとおっしゃっていましたが、最終的には日本で教えることにも興味はありますか?それともアメリカで教育を続けられるんでしょうか?

日比:家族がアメリカに永住する可能性が高いこと、日本の大学での音楽学のポストが限られていることなどから、日本に戻って教育をすることが出来るかは難しいところです。日本では博士課程を出た時点で講師からスタートして何年もかけて大学で教えてきた人が段々教授になっていくわけですから。ただし、これは夢なんですけど、日本で音楽理論を子どもに教えるときに、しっかり踏み込んでカリキュラムを作ったり、あとは、そのときに買える適当な音楽理論書が見つかっていないので、そういうものを書くことで日本の教育に貢献できるかなと思っています。最近執筆した拙著『ハーモニー探究の歴史―思想としての和声理論』は大学の学生さん向けですが、且つ、一般の音楽に興味がある人が読んでもわかりやすい形で書いています。初学者の方は、和声やハーモニーの勉強をしようと思っても難しい教科書を読む気はしないですよね。子どもとか一般の興味ある方とか、そういう人にも読んでもらえるような分かりやすい本というのがもう少し必要とされていると思います。博士課程での専門知識に加えて、こちらでの教師経験を通じて実践的に本を書くのに役立つようなアイデアを毎日もらっているので、そういうのをまとめて出版したり、教育プログラムを作ることができたらいいなと思います。


——初学者向けの本やプログラムなどがあればぜひ使ってみたいです。楽しみにしています。




<あとがき> 音楽の演奏と研究のみならず、普段から物腰が柔らかく丁寧に気配りをしてくださり、お菓子作りや日本の伝統芸能など様々な特技をお持ちの美和子さん。小さな頃に楽理に興味を持ったきっかけから現在のキャリアに至るまで首尾一貫していて、大変尊敬します。また、音楽の作曲は一見直感的な営みに見えますが、美和子さんの研究者会での発表や今回のインタビューを通じて、音楽も論理的な構造に支えられていることを実感しました。
特に研究をはじめたきっかけや、音楽学研究の意義に焦点を当てて質問をさせていただき、美和子さんが音楽を通じて見ている世界に大変想像力を掻き立てられました。ご協力ありがとうございました。
(文責:藤井洋樹)
Design downloaded from free website templates.